みると通信:認知症高齢者の鉄道事故~第2回~

監督義務者としての責任

  今回の事件で裁判所は、要介護1のおばあちゃんに責任を負わせたのですが、その理由としては、以下の2点を挙げています。

  1. 夫婦は同居して互いに協力し、扶助する義務(協力扶助義務)を負うことから、夫婦の一方が認知症等によって自立した生活を送ることができなくなったり、徘徊等によって自傷・他害のおそれがあるような場合、協力扶助義務の一環として見守り介護等を行うという身上監護の義務があること。
  2. 当時の精神保健福祉法では、後見人が選任されていない精神障害者の配偶者は保護者となって、精神障害者に治療を受けさせ、医療を受けさせるに当たっては医師の指示に従わなければならない義務があること。

 

この判決からすると、認知症高齢者と同居している家族(特に配偶者や後見人となっている子供たち)は、おちおちうたた寝もできないということになってしまいますよね。そうならないために認知症の高齢者は自宅で介護せず特養等の施設に入所させてしまえということなのでしょうか。

夫婦間の協力扶助義務

  夫婦が同居して互いに協力し、共同生活を営むため互いに経済的援助を行うことを求めるものでありますが、決して他方の行動を監視することを求めるものはないはずですし、精神保健福祉法上の保護者制度にしても、かねてからその問題点が指摘され続けてきたこともあって、平成26年3月をもって廃止された制度であり、このような点を強調して責任無能力者の監督責任を認めた裁判所の判断は、長年連れ添ってきた夫を亡くした配偶者の悲しみを理解しない時代錯誤も甚だしいと判決といってもよいのではないでしょうか。

公平な責任分担

 

土地・建物などの管理者側の責任

  確かに、責任無能力者の監督責任が、物事の善し悪しの判断ができない判断能力がない人の行動によって損害を受けた人を救済する制度であることからすると、今回の判決のように監督義務者に責任を負わせる判断もあり得るかもしれません。もし、判断能力のない認知症高齢者が配偶者の目を盗んで車を運転し、公道を逆走したあげくに交通事故を起こしたような場合、公平な責任分担ということからすると、認知症高齢者と同居し、介護していた家族の誰かに賠償責任を負わせるべきという被害者の立場も理解できます。

しかし、今回の事故で損害を受けたと主張している者は、公道を走行していた一般人とはおよそ異なり、巨大な資本に基づき電車を走らせ、利益を得ている鉄道事業者です。踏切事故やホームからの転落事故など言った鉄道事故は、重大な結果を招きかねません。鉄道の高架やホームドアの設置などによって、事故を予防することこそ、鉄道事業者に望まれていることと言っても過言ではありません。

民法では、責任無能力者の監督責任とは別に、建物など土地上の工作物を利用・管理している者に、その工作物に何らかの問題があって他人に損害を与えた場合に賠償責任を負わせています。
今回の事故は、おじいちゃんがどこを通って駅構内の線路上に達したかは不明ですが、JRが駅構内での事故を回避する万全の措置を講じていたならば、今回の事故は起こっていなかったかもしれません。老老介護をしていた高齢者の遺族に認知症の夫が徘徊して起こした事故に責任を負わせることが、本当の公平といえるのでしょうか。逆に、おじいちゃんの遺族がJRに損害賠償責任を追及してもよかったのではないかとさえ思える事件です。

今回の判例は、認知症高齢者を介護している家族にとっては、衝撃的な判決であり、自宅での介護に消極的になってしまう危険性をはらんでいます。介護者の心情や実状に沿わない点では多くの意見、批判もあるところではないでしょうか。