みると通信:愚行権について考えよう【第2回】

前回は、一般的に取り扱われる愚行について説明し、また成年後見業務で考慮されるべき愚行権について解説しました。

今回は、成年後見業務における事例から愚行権を検討してみたいと思います。

事例

Aさん(男性・50代)は、アルコール依存症があり生活保護を受けて生活していました。
しかし、父親の死亡で不動産と死亡保険金を相続しました。Aさん自身では手続きができないため、市長申し立てで保佐人が選任されました。
その保佐人による手続きが終え生活保護は廃止となりました。
その後も、Aさんはお酒をやめることができません。Aさんは、肝機能低下と精神症状があります。精神科病院へ受診をしていますが、アルコール依存症の治療は適切に行えていません。
また、Aさんはパチンコでの散財が激しく、お酒とパチンコで1ヵ月分の生活費をすぐに使ってしまいます。
保佐人は、「Aさんの財産が維持できなくなる」という思いから、アルコールとギャンブルについてAさんと話し合いをし、何度もやめる約束をしました。
しかし、約束を守ることができずに経過しています。Aさんには相談できる親族はいません。

この状況で、保佐人は精神科病院の主治医へ相談に行きました。
「本人の断酒の気持ちが表出しないとアルコール依存症の治療は進まない」「やめようと思ってもAさん自身ではコントロール出来ない状態である」との説明を受けました。
また、日頃から関わってくれている民生委員にも状況を尋ねました。
「お酒を飲み、近隣住民と時々トラブルになることがある」とのことです。

これらのアドバイスや情報を基に、「アルコールをやめてほしい」という関わりから「健康と生活面が心配だからアルコールのことを一緒に考えていこう」という関わりへスタンスを切り替えました。
Aさん自身からこのことを主治医、民生委員にも伝え、見守りを継続してもらうことにしました。
一方で、主治医には地域での様子について報告をし、病気による判断能力の低下について(後見類型への変更や入院治療を視野に入れた)観察をしていただくようにお願いをしました。

次に、「財産」について今後の見通しをAさんと話し合いました。
「ギャンブルをしないように」という内容ではなく、Aさんの気持ちを配慮し、「適度な楽しみ方」について一緒に検討をしました。
具体的には、2週間で遊戯できる金額を決め、予定どおり進まなくなった場合は連絡してもらうルールとしました。
すぐに出来なくても大丈夫であることを告げ、継続して考えていくことにしました。

解説

「アルコールを摂取する」「ギャンブルをする」という愚行に対する保佐人の関わりを示した事例です。
アルコール摂取については、アルコール依存症という病気が誘発していると考えるべき事例ですが、今回は、Aさんの欲求、希望、思いという点に着目しながら見ていきます。
表面的には、アルコールの影響で「生活がしづらい」「健康を害している」という課題が発生しています。また、ギャンブルにより「財産がなくなっている」という事実があります。

このような現状で「愚行権」を考える場合、「アルコールを購入し健康を害してまで飲む」「散財しながらギャンブルをする」という愚行をどのように捉えるべきでしょうか。
自己決定の考えでは「自分のお金で好きな酒を飲みたい、ギャンブルをしたい」、保護の意味合いからは「健康と財産の維持、確保」と捉えることができます。
保佐人は、この2つのバランスをどうのようにとるべきかで葛藤していきます。

この事例をみると、保佐人は財産管理の意味からAさんへ「アルコールとギャンブルをやめること」を提案しています。保護的な関わりです。
しかし、状況が改善されていません。
保佐人は専門的アドバイスを求め、医療相談へと繋がっていきます。
ここでAさんへの関わり方にヒントを得て、Aさんの思いに寄り添った視点を導きだしています。(アルコール依存症者への関わりでも本人を変えようとするのではなく、関わり方を変えることが大切だと言われています。)

ギャンブルについても、「Aさんの意思であり、Aさんの財産であるから関わらない」ということではなく、Aさんの判断能力があることを前提として、「財産の見通しについての話し合い」からスタートする段階的関わりへと変化しています。
また、一方で本人の判断能力の検討も同時に行っています。

この事例の関わりは1つ方法論です。正解ではないかもしれません。
しかし、Aさんの本音・希望とともに、財産、身体、生命の維持の状況と見通し、判断能力の状況などを加味して検討した結果の関わりだと考えます。
今後も、保佐人としての判断がA
さんの意思と異なっている場合は、繰返して話合いを持つことが大切です。
また、その他の支援者、家庭裁判所などに相談し協議していくことも重要となります。
第三者の意見を聞くことで、保佐人自身の価値観に偏った判断で活動していることに気付く場合もあります。状況によっては、取消権での対応も必要になるかもしれません。
これらの地道なプロセスを追うことでベストインタレストに近づいていくことになると考えています。

まとめ

人は色々な状況で幸福を感じながら生きています。
人が幸福を感じるのは、意外とくだらない、ばかげたことを行う時のような気がします。
私自身、思い当たる点が多くありますので…

愚かしい行為を明確に良い・悪いと判断される世の中を想像すると確かに窮屈ですし、自由という言葉がなくなってしまう気もします。

「愚行」だけの意味から考えると「好ましくない行為」≒「保護の意味合いが強い」と理解されやすいものです。
成年後見人として将来的な不幸を考えると愚行を阻止・制止すべく介入していく場面も多く出てくるでしょう。
一方で、その行為に権利が存在することを考えると、被後見人の自己実現のための権利行使をパーソナルな支援者としてサポートしていく側面があることも十分に認識しておかなければなりません。

愚行に対して成年後見人として、阻止・制限をしていくのか、それとも愚行権の行使をサポートするのか、非常に難しい課題です。
この答えが正解というものは無いのかもしれません。
もっと実践事例などを評価・分析し、協議していくことが求められます。

今言えることは、成年後見人として悩み、よく考えて行動していくことに意味があると言うことです。
この当たり前の行動が、成年後見人自身へのフィードバックを可能にし、倫理的配慮に基づいた成年後見活動へと繋がっていくと考えられます。