みると通信:高次脳機能障害について知ろう【第3回】

第3回 事例

高次脳機能障害について、第1回、第2回と連載してきました。最終回は、当センターで受任したケースをご紹介します(事例の内容は、加工しております)。さらに理解を進めていただければと思います。

Aさんの場合

Aさん(40歳・男性)は自動車部品製造メーカーに勤務していた。婚姻歴はない。
平成〇年に横断歩道を渡っている時に信号を右折してきた乗用車にはねられて「外傷性クモ膜下出血及び脳挫傷」を受傷。事故直後は救急病院に搬送され外科的には治癒し身体障害は残らなかった。

しかし、外科医より脳挫傷の後遺症として高次脳機能障害の疑いがあるとして、リハビリテーション科がある専門病院B病院に転院し、高次脳機能評価を受けた。
結果、見当識障害・記憶障害・自発性の低下、遂行機能障害の後遺症が残り、高次脳機能障害の診断を受けた。
病院から生活訓練の出来る施設への移行をすすめられたが、Aさんはこれを断った。
退院後、それまで住んでいた会社の寮に戻ったが、外出すると自分がどこに行こうとしていたか分からなくなり、迷子になり同僚に迎えにきてもらう事が何度もあった。復職も目指したが、何年も通った会社までの通勤路がどうしても覚えられなかった。Aさん自身に、その事実を受けとめることができずに、やがて自室に引きこもるようになり、やむをえず退職した。退職後は実家に戻り両親と同居生活を開始した。

父親が、事故の相手方の保険会社と示談交渉をしようとしたが、「本人の精神状態からして、本人との交渉は困難なため、後見人を選任してほしい」と要請された。そこで、父親が家庭裁判所に後見開始の申立てを行い、北九州成年後見センターが後見人に選任された。北九州成年後見センターでAさんの担当となった弁護士が、交通事故の自賠責保険金の交渉と任意保険の保険会社との示談交渉を行い、保険金を受け取った。

また、北九州成年後見センターのC精神保健福祉士も自宅に定期的な訪問を開始した。
「以前はおとなしい子だったのに事故後は些細なことで怒りっぽくなった。どこも悪くないのに大の大人が家でゴロゴロして煙草ばかり吸う。」という両親に対しては、高次脳機能障害の障害特性を理解していただくように説明し、行政やB病院が主催している高次脳機能障害の講演会の案内をした。講演会を聴きに行った両親は、その中で紹介された家族会に参加するようになり、少しずつ本人の障害を理解するようになった。本人への対応についても叱咤激励ばかりするのではなく、受容や寛容の態度で本人を見守れるように変わりつつある。
本人は、「自分は障害者なんかじゃない。保険金をもらうために仕方なく後見制度を利用したのだ。」と取りつくしまもなかったが、C精神保健福祉士の粘り強い関わりで「どこにいくかわからないため外出することが怖い。以前のように働きたいと思うが、物覚えが悪くなった。」という事を打ち明けるようになった。
そこで、就労に向けての取り組みをすることになり、C精神保健福祉士の紹介で、就労移行支援事業所を利用することになった。通所当初は事業所の職員が、1週間ほど自宅から事業所まで一緒に付き添ってくれ、今ではAさんは毎日地図を見ながらではあるが、一人で通所している。事業所は事業者内の軽作業から、実際の企業に出向いて実習を行うなど、社会復帰に向けて訓練を受けている。

 

コメント

この事例の経過を見ると、本人の障害に対する認識の難しさが表れていると思います。

1つは、生活訓練の受け入れを拒否する場面、1つは成年後見人の関わりを拒む場面です。

周りが必要だと感じる支援についても、本人の自覚する難しさと本人の望む想いが重複して、このような対応となっています。
このことは致し方ないと思いますが、集団や組織の中では、「難しい人だ」と評価されやすく、本人にとって好ましくない環境、人間関係となってしまいます。

本事例では、社会復帰後、これまでどおりの社会環境では適応することが困難となり、二次障害としての「ひきこもり」に至っています。
家族の障害特性に対する理解の難しさも、この状況に拍車をかけたと思います。

しかし、保険会社の要請からではありますが、成年後見制度の申立へと繋がり、このことで保険金を受け取ること(一部の生活保障)が出来ています。
また、家族へ研修会や家族会を紹介することで、家族の障害に対する理解が進み、さらに、粘り強く成年後見人が関わることで、本人が徐々に気持ちを解放しています。
その後は、あらたな生活を意識しながら段階的な目標設定を行うことで、本人自身が見通しを持って取組むことが出来つつある状況に繋がっています。

高次脳機能障害に関して、まずは「本人、家族、周囲が高次脳機能障害の可能性に気づきを持つこと」、次に「日常生活、社会生活での生活のしづらさを解消していく意向を確立していくこと」が求められます。
しかし、これらのことはすぐに満たされないことが多いのです。
やはり、本人の意向と症状に向き合いながら、長期的かつ継続的な見守り、関わりが必要不可欠であるということが言えるでしょう。